旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

平成日本紀行(208)三国 「東尋坊」

平成日本紀行(208)三国 「東尋坊」 東寿坊お絶壁 東寿坊 芦原から三国の、あの「東尋坊」までは一投足であった・・、案内に従って進み、道路側帯が松の緑の覆われている間をぬって行くと、お土産屋や宿舎のある賑やかな一角へ出る。 東尋坊岬であった。 観光…

平成日本紀行(208) 芦原 「芦原温泉」

「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン) 平成日本紀行(208) 芦原 「芦原温泉」 . 日帰り温泉施設 「セントピアあわら」 えちぜん鉄道三国芦原線の「あわら湯のまち駅」 九頭竜川の清流を渡り、今…

平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(3)

「漂泊の旅から、学問が生まれる」 平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(3) . 写真:現在の白山神社本殿 平泉寺(賢聖院)の名勝・庭園(地面は全て苔に覆われている) 16世紀の戦国期、当時の寺社勢力は農民層をはじめとして多数の信者を抱えるだけ…

平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(2)

日本周遊紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(2) . 資料:往時の平泉寺絵図と現在の様子 九頭竜川中域の平泉寺・白山神社と白山信仰について・・、九頭竜川中流域は、勝山市域で白山山域の山麓に位置する。 平泉寺・白山神社は、加賀、越前、飛騨(石川・福井…

平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」

「旅は道連れ、世は情け」>(日本の諺;江戸いろはカルタ) 平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」 . 九頭竜川河口に広がる三国港 荒々しくも見所一杯の越前海岸の国道305号を北上し、三国町に近付くに従って、どうやら穏かな平地が広がってきた。 左手に…

平成日本紀行(206) 越前 「越前海岸」

.「旅へでたら、石ころをひろってこい・・!」 平成日本紀行(206) 越前 「越前海岸」 . 越前岬灯台 国道が交差する越前梅浦漁港 弁慶の洗濯岩と柱状節理の鉾島 呼鳥門(こちょうもん) 越前海岸の水仙 鄙びた、玉川温泉から新造成った玉川トンネルを抜けると…

平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」(2)

「旅のなかで生きる喜びを感じ、創造への意欲をかりたてる」 平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」(2) . 越前町厨地区:甲羅に似た「越前がにミュージアム」 この先、その越前海岸を行くことにする。 早速、険しい海岸線のR305を行くことになる。 間もなく…

平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」

「旅は私にとって、精神の若返りの泉だ」 <アンデルセン> 平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」 . 日本海の荒波寄せる特異な越前海岸 敦賀から福井・越前に入るには、越境山脈を超えなければならない。ところで、現在の福井県の県域は若狭湾から北陸と呼ば…

平成日本紀行(205) 敦賀 「原子力発電」

旅の諺 「東へ行った、西にも行った、やはり、わが家が一番だった」 平成日本紀行(205) 敦賀 「原子力発電」 . 敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」 敦賀へ来たら、もう一言書かねばなるまい、「原発」のことである。敦賀原発街道とも言われ、敦賀一帯は原発…

平成日本紀行(205) 敦賀 「気比祭神と御食(みけ)の国」

「百聞は一見にしかず「」 <日本の諺> 平成日本紀行(205) 敦賀 「気比祭神と御食(みけ)の国」 . 気比神宮摂社・角鹿神社(ツヌガ神社) 若狭地方の敦賀は、古来より日本海を通じて大陸との交流が盛んでであった。古代(奈良朝時代以前は歴史的には原始古…

平成日本紀行(205) 敦賀 「松原と神宮」

「旅の終わり、そして本当の旅の終わりは・・?」 平成日本紀行(205) 敦賀 「松原と神宮」 。 気比の松原 気比神宮大鳥居と本殿 敦賀半島の根元にあたる旗護山トンネルを抜けると、ここは既に敦賀である。 更に、若葉町の交差点を左に折れ、ぶち当たったとこ…

平成日本紀行(204) 三方 「三方五湖」

「長生きするものは多くを知る。 旅をしたものはそれ以上を知る。」 <アラブの諺> 平成日本紀行(204) 三方 「三方五湖」 . 写真(資料):三方五湖俯瞰 三方五湖の1つ「久々子湖」 国道27号の丹後街道から三方町、三方五湖へ向かった。 先刻から若狭湾の入…

平成日本紀行(203) 小浜 「お水送りとお水取り」

「寝てばかりいる賢人より、放浪する愚人」 平成日本紀行(203) 小浜 「お水送りとお水取り」 . 写真:神宮寺本堂 本堂横の霊水・閼伽水 霊水・閼伽水の名札 写真:鵜の瀬の清流 「お水送り」の神事 その神宮寺本堂の手前に霊水の井戸・「閼伽水」というのが…

平成日本紀行(203) 小浜 「神宮寺と神仏習合」

「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」 <松尾芭蕉(奥の細道)> 平成日本紀行(203) 小浜 「神宮寺と神仏習合」 . ところで、一般に神宮寺(じんぐうじ)とは、日本において神仏習合思想に基づいて神社を実質的に運営していた仏教寺院のこ…

平成日本紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」

「着くことよりも、楽しい道中がよい」 平成日本紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」 . 若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社 神宮寺本堂と神宮寺・仁王門付近 海神(綿津見神:ワタツミノカミ)の娘、豊玉姫を祀る若狭姫神社と、豊玉姫の夫、彦火火出見…

平成日本紀行(203) 小浜 「後瀬山」

平成日本紀行(203) 小浜 「後瀬山」 . 後瀬山(左の山)の麓にある空印寺(元、若狭の守護・武田家守護館) 「鯖街道」は、現在の国道27号線の上中町より303号線、367号線となり、所謂、若狭街道と呼ばれる国道を、比叡山系から比叡山山麓、大原を経て京都に…

平成日本紀行(203) 小浜 「鯖街道」

.「旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにする」 <イギリスの諺> 平成日本紀行(203) 小浜 「鯖街道」 . 小浜市内、鯖街道起点の路面表示 舞鶴を後にして、国道27号線、通称、丹後街道を行く。舞鶴から若狭へ抜ける半島を横切るようにし…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚者と戦争難民」

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚者と戦争難民」 , 引揚者、そして戦争難民とは・・?! 、一般に、満州からの集団引揚げは1946年春から一時期の中断を含め、尚連続して行われていたらしいが、しかし中国内戦が激化したことや、その果てに中国大陸を支配した中…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚当時の私的回想」

「旅から戻ってくると、故郷の煙さえも甘く気持ちのよいものである。」 グリボエードフ(帝政ロシアの外交官・作家・作曲家) 平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚当時の私的回想」 . ここで、勝手ながら小生の幼少時分の満州から引揚状況を、「記憶を振り絞って…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「戦後の引揚港」

平成日本紀行(202) 舞鶴 「戦後の引揚港」 . 引揚記念館 『異国の丘』・歌碑 復元された引揚桟橋 小生家族も世話になった、舞鶴・「引揚港と桟橋」・・!! 、舞鶴港は、戦中は旧海軍の軍事的拠点として使用されていたが、終戦直後は大陸に進駐していた軍人…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「舞鶴港」

平成日本紀行(202) 舞鶴 「舞鶴港」 . 舞鶴軍港に停泊中の護衛艦群 舞鶴軍港に停泊中の最新鋭護衛艦・「すずなみ」 宮津の町から岬付け根の粟田トンネルを抜け、粟田湾から由良川沿いを南下する。 八田の交差点を左折して由良川を渡り、小さな峠を越えると間…

平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」(2)

「旅人よ、道はない。 歩くことで道は出来る。 」 (アントニオ・マチャド;スペインの詩人) 平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」(2) . 林春斎の三景碑(天の橋立) 海岸へ出ると間近に砂州と松林が延々と対岸へ延びている。 その景観は海と緑が対象…

平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」

「さすらいと変化を愛するものは、生ある者である。」 (ワグナー) 平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」 . 文殊堂山門 回旋駆動中の廻旋橋(正面道路から切り離されている) 伊根の風景を満喫し写真に収めて、来た道の国道178を折り返す。 序に先ほどと…

平成日本紀行(200) 伊根 「伊根の舟屋」

「この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない」<吉川 英治> 平成日本紀行(200) 伊根 「伊根の舟屋」 . 伊根の舟屋(2枚) 丹後半島の先端「伊根」を目指す・・、海よりの国道178から望む宮津湾は長閑で実にいい。 養老地区…

平成日本紀行(199)宮津 「天の橋立・北」

「世界は一冊の本だ。 旅をしないものはその本を一頁しか読まないことになる。」 (アウグスティヌス:古代キリスト教の神学者、哲学者) 平成日本紀行(199)宮津 「天の橋立・北」 . 傘松公園より天の橋立(股覗きの名所;資料) 写真:天橋立の北側風景(堤…

平成日本紀行(199)宮津 「籠神社」

「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」 <ゲーテ> 平成日本紀行(199)宮津 「籠神社」 . 籠神社・神門 拝殿後方の「本殿」 宮津の元伊勢と呼ばれる「籠神社」とは・・? 、与謝野町の町並みを過ごして、天の橋立の北側の付け根に達…

平成日本紀行(198) 与謝野 「与謝野と与謝野氏」

「希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。」(スティーブンソン) 平成日本紀行(198) 与謝野 「与謝野氏」 . 城崎温泉の宿(国民宿舎・玄武洞)がちょうど円山川沿いにあったので、そのまま南下して一旦、豊岡の町に出る。…

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3)

「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン) 平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3) . 資料:城崎温泉概略図 城崎温泉駅 城崎温泉(きのさきおんせん)は、平安時代から知られている温泉で1300年…

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2)

. 平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2) . 風流な大谿川を挟む温泉街界隈・・、 城崎温泉にて・・、志賀直哉が、「城の崎にて」の冒頭に、「山の手線に跳ね飛ばされて怪我をした。 その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた」と記している。 著者…

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」

. 「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン) 平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」 . 温泉街の最も奥にある立寄り湯・「鴻の湯」と温泉寺へ向かう「薬師橋」(下) 「城崎温泉」へ向かう・・、海岸…