旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

平成日本紀行(229) 糸魚川 「姫川」

平成日本紀行(229) 糸魚川 「姫川」 . 白馬連峰を望む姫川と大糸線 (提供 http://tetsurohyakkei.web5.jp/tetsurohyakkei.gallery03top.html さん) 「姫川」は、フォッサマグナの西縁、いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って白馬村から糸魚川市まで流れてい…

平成日本紀行(229) 糸魚川 「天津神と出雲神」

平成日本紀行(229) 糸魚川 「天津神と出雲神」 . 天津神社の「けんか祭り」 天津神社と奴奈川神社のことであるが、 奴奈川姫に言わせれば、憎き相手の大国主であるが、所詮は夫婦の契りを交わし、愛児お一子をもうけているのである。 その為もあって奴奈川神…

平成日本紀行(229) 糸魚川 「奴奈川姫と翡翠」

平成日本紀行(229) 糸魚川 「奴奈川姫と翡翠」 . 奴奈川神社と天津神社の各本殿 親不知ピアパークを横に見ながら、青海から姫川を渡り「糸魚川」に着いた。 思えば昨年秋、日本周遊の旅へ出発した折、先ず、東日本を巡る旅程でここ糸魚川より日本海を北上し…

平成日本紀行(228) 親不知 「親不知・子不知」

平成日本紀行(228) 親不知 「親不知・子不知」 . 写真:国道沿いに建つ「親不知親子の像」 写真:旧国道(親不知の見所) 建設当時岩壁に彫られた文字「如砥如矢」 写真:現在の親不知の景観 市振から天険トンネルを抜けると国道沿いにひっそりとした、その名…

平成日本紀行(227) 越中境 「市振の関」

平成日本紀行(227) 越中境 「市振の関」 . 市振の関(2枚) 国道8号線を東進するに従って、屏風のような山塊が迫ってくる。 後立山連峰・白馬岳の支脈が北方へ延びて日本海に落ちているのである。 そのため各交通路である国道、高速道、北陸本線等は海側の…

平成日本紀行(226) 黒部 「黒部峡谷」

平成日本紀行(226) 黒部 「黒部峡谷」 . 宇奈月温泉駅とトロッコ列車 黒部峡谷の「後曳橋」を渡るトロッコ列車 黒部に来た。 こちらも立山黒部アルペンルート(越中富山~信濃大町)に負けないくらいの山岳観光のメッカである。 特に黒部峡谷は秋の紅葉の絶…

平成日本紀行(225) 魚津 「蜃気楼」

. 平成日本紀行(225) 魚津 「蜃気楼」 . 特色ある海底地形によって“魚色”の多い富山湾で、それを表すような代表的な地名が「魚津」であろう。 その名が示すとおり古来より魚の多種多量の産地ということで、聞き伝えで大勢の人が移ってきて次第に家数も増え、…

平成日本紀行(224) 富山 「富山湾」

平成日本紀行(224) 富山 「富山湾」 . 再び、国道8号線へ出て東へ向かう・・、 それにしても神通川を横に見ながらであるが、富山平野は大小の河川が多く、それらの河川には、いずれも豊富な水量が流れている。思えば、今日が本旅行の概ねの最終日であろう(…

平成日本紀行(224) 富山 「越中守・佐々成政」

平成日本紀行(224) 富山 「越中守・佐々成政」 . 越中・富山城 富山駅の南、国道41号線(飛騨街道)沿いに「富山城址」がある。 南大手門より本丸南側の堀と石垣を水に映して天守閣が聳え、城内を行くと白壁の新装したであろう城郭が美景である。 ただ、天守…

平成日本紀行(224) 富山 「越中・富山」

平成日本紀行(224) 富山 「越中・富山」 . 富山駅前の「薬売り像」 国道8号線から神通川に架かる大橋を渡り、富山市内を目指した。 ノーベル賞の田中耕一氏も富山市出身であり、質素倹約の富山県人のことは先に記したが、県人一般に言えることは勤勉で粘りつ…

平成日本紀行(223) 高岡、新湊 「金物と射水」

平成日本紀行(223) 高岡、新湊 「金物と射水」 . 駅前商店街の一角に座る銅製の「高岡大仏」(日本三大仏) 市街地を走る万葉線のチンチン電車(・・?) その高岡はご存知、鋳物工業の発祥の地である。 駅より1kmの地に金屋町の古風な町屋が並んでいて、高…

平成日本紀行(222)氷見 「雨晴海岸」

平成日本紀行(222)氷見 「雨晴海岸」 . 名所、雨晴海岸 氷見は、万葉集の選者・大伴家持(おおとも の やかもち)が愛した景勝地でもある。 越中国守だった家持は氷見周辺で詠んだ歌を30首以上、万葉集に収めている。 家持は特に、富山湾越しの立山連峰の絶…

平成日本紀行(222)氷見 「海鮮館」

. 平成日本紀行(222)氷見 「海鮮館」 . 氷見の港に建つ「海鮮館」 七尾市から国道160号線を富山湾に抜けると波打ち際を延々と走るようになる。 この氷見市に至るまでの海岸線は素晴しく透明感があり、目を見張る美しさである。 特に小境海岸の白砂が鮮やかで…

平成日本紀行(221)七尾 「七尾城」

平成日本紀行(221)七尾 「七尾城」 . 草生した七尾城址(本丸への上り口) 能登半島は、無理していうなら鮫の顔に似ている・・!、 鮫が口を開いて能登島をガブリと銜(くわえる)え込んでいて、その口元から下顎に当たるのが「七尾市」であり、喉仏に相当す…

平成日本紀行(221)七尾 「和倉温泉」

平成日本紀行(221)七尾 「和倉温泉」 . 最後の宿「フローイント和倉」 部屋にて・・、(小生の素顔です) 能登島大橋を渡った先の、和倉温泉東の交差点を右に行った先に、地方公務員の保養所になっている「フローイント和倉」があった。 一見、五階建ての地…

平成日本紀行(221)七尾 「能登島」

.「漂泊の旅から、学問が生まれる」 平成日本紀行(221)七尾 「能登島」 . 能登島に架かる農道橋 能登島大橋 能登半島を巡って、穴水町に戻ってきた・・!、 能登の内浦を更に入りこんだ七尾湾の湾口に能登島という巨大な島が浮かび、波消しブロックを置いた…

平成日本紀行(220)能都 「石仏山祭」

平成日本紀行(220)能都 「石仏山祭」 . 写真(資料):3月の残雪の中の「石仏山祭」 国道249は能都町の宇出津(うしつ)辺りから再び海岸に出た。 能都町は現在、「能登町」に町名が変更になっているようで、能都町、内陸部の柳田村、内浦町とが平成17年3月…

平成日本紀行(219)内浦 「九十九湾」

平成日本紀行(219)内浦 「九十九湾」 . 長閑な九十九湾 九十九湾(つくもわん)は、内浦のほぼ中央に位置する代表的リアス式海岸の小湾で、湾の中にも更に数多くの入江があるという意味で九十九湾という名があるという。 湾の真ん中には弁財天を祭る蓬莱島が…

平成日本紀行(218)珠洲 「伝説とロマンの里」

.「東へ行った、西にも行った、やはり、わが家が一番だった」 平成日本紀行(218)珠洲 「伝説とロマンの里」 . 資料:須須神社の日本一のキリコ 長手の岬からは所謂、能登半島の内側に入り込む内浦湾(富山湾)である。 間もなく「蛸島」という小さな町に入っ…

平成日本紀行(218)珠洲 「須須神社」

平成日本紀行(218)珠洲 「須須神社」 . 海に向かって立つ須須(スズ)神社の大鳥居と燈篭 資料:「蝉折の笛」と弁慶の守刀 狼煙(のろし)と須須神社の関わり・・、内陸伝いの山道から、一転海岸に出たところ寺屋地区に「須須神社」があった。 鄙びた部落の様…

平成日本紀行(218)珠洲 「禄剛崎燈台」

「旅の終わり、そして本当の旅の終わりは・・?」 平成日本紀行(218)珠洲 「禄剛崎燈台」 . 能登の最北端表示 禄剛崎燈台 能登禄剛埼の中心に、さほど背は高くないがドーンと鎮座しているのが白亜の灯台「禄剛崎灯台」である。 どっかの灯台の項で記したが、…

平成日本紀行(218)珠洲 「狼煙の禄剛崎」

「可愛い子には旅をさせよ」(日本の諺) 平成日本紀行(218)珠洲 「狼煙の禄剛崎」 . 日本列島中心表示碑 禄剛崎方位表示 この先、曽々木トンネルの道路サイドには「垂水の滝」というのがあり、落差35メートルの滝水は荒磯へ直に流れ落ち、押し寄せる潮風に…

平成日本紀行(217) 曽々木 「時国家(ときくにけ)」

「旅することは、生きること」 (アンデルセン;おとぎ話、童話作家として有名なアンデルセンは、実は無類の旅好きであった。生涯で何度も旅に出て、数多くの旅行記を書き残した。) 平成日本紀行(217) 曽々木 「時国家(ときくにけ)」 . 曽々木の窓岩 建坪…

平成日本紀行(216) 名舟 「棚田と御陣乗」

.「旅を思い出すことは、人生を二度楽しむ事である」 (フェリックス・メンデルスゾーン;作曲家) 平成日本紀行(216) 名舟 「棚田と御陣乗」 . その名も「白米の千枚田」 奥津姫神社の海上鳥居 国道249を更に半島先端へ向かって行くことにする。 海岸とはい…

平成日本紀行(215) 輪島 「輪島・朝市」

「若いとき、旅をしないと、年とってからの物語がない」 平成日本紀行(215) 輪島 「輪島・朝市」 . 輪島の朝市風景 輪島の町並みで、河合町という商店通りは「輪島・朝市」で有名なところである。 河合町一丁目の一角、海を背にして家屋の間に簡素な「市姫社…

平成日本紀行(215) 輪島 「輪島塗」

.「長旅はつらいが、楽しみのがビール待っている」 平成日本紀行(215) 輪島 「輪島塗」 . 朱色の漆塗りに「輪島漆器」 道の駅・輪島、「ふらっと訪夢」の和風造りは、地場産の集成材(多数の板材・角材を接着剤で接合して作った木材)を利用し、内部の柱には…

平成日本紀行(215) 輪島 「能登・御陣乗」

.「長生きするものは多くを知る。 旅をしたものはそれ以上を知る」 <アラブの諺> 平成日本紀行(215) 輪島 「能登・御陣乗」 . 能登の奇祭・御陣乗太鼓 南北朝時代に足利尊氏に従い、室町幕府創立時の功績によって能登、越中を領する守護大名に列せられるの…

平成日本紀行(215) 輪島 「越の国」

.「旅は真の知識の大きな泉である」 (ベンジャミン・ディスレーリ;イギリスのヴィクトリア朝期の政治家、首相 ) 平成日本紀行(215) 輪島 「越の国」 . 古代のある時期まで、富山から東は縄文遺跡、福井から西は弥生遺跡が多いと言われる。 そんな中で石川…

平成日本紀行(215) 輪島 「ぷらっと訪夢」

.「寝てばかりいる賢人より、放浪する愚人」 平成日本紀行(215) 輪島 「ぷらっと訪夢」 . 旧輪島駅の「ぷらっと訪夢」 旧輪島駅ホームと「シベリア」行きの次駅表札 能登道路の終点である穴水の此木から、一般道を「輪島」に向けて走ることにする。 途中、別…

平成日本紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」

.「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」 <松尾芭蕉(奥の細道)> 平成日本紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」 . 豪壮な総持寺祖院の山門 総持寺祖院 山門と僧堂 この辺りの地名で、「門前町」というのは一寸な奇異な感じもするが・・?…