旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

石川県

平成日本紀行(221)七尾 「七尾城」

平成日本紀行(221)七尾 「七尾城」 . 草生した七尾城址(本丸への上り口) 能登半島は、無理していうなら鮫の顔に似ている・・!、 鮫が口を開いて能登島をガブリと銜(くわえる)え込んでいて、その口元から下顎に当たるのが「七尾市」であり、喉仏に相当す…

平成日本紀行(221)七尾 「和倉温泉」

平成日本紀行(221)七尾 「和倉温泉」 . 最後の宿「フローイント和倉」 部屋にて・・、(小生の素顔です) 能登島大橋を渡った先の、和倉温泉東の交差点を右に行った先に、地方公務員の保養所になっている「フローイント和倉」があった。 一見、五階建ての地…

平成日本紀行(221)七尾 「能登島」

.「漂泊の旅から、学問が生まれる」 平成日本紀行(221)七尾 「能登島」 . 能登島に架かる農道橋 能登島大橋 能登半島を巡って、穴水町に戻ってきた・・!、 能登の内浦を更に入りこんだ七尾湾の湾口に能登島という巨大な島が浮かび、波消しブロックを置いた…

平成日本紀行(220)能都 「石仏山祭」

平成日本紀行(220)能都 「石仏山祭」 . 写真(資料):3月の残雪の中の「石仏山祭」 国道249は能都町の宇出津(うしつ)辺りから再び海岸に出た。 能都町は現在、「能登町」に町名が変更になっているようで、能都町、内陸部の柳田村、内浦町とが平成17年3月…

平成日本紀行(219)内浦 「九十九湾」

平成日本紀行(219)内浦 「九十九湾」 . 長閑な九十九湾 九十九湾(つくもわん)は、内浦のほぼ中央に位置する代表的リアス式海岸の小湾で、湾の中にも更に数多くの入江があるという意味で九十九湾という名があるという。 湾の真ん中には弁財天を祭る蓬莱島が…

平成日本紀行(218)珠洲 「伝説とロマンの里」

.「東へ行った、西にも行った、やはり、わが家が一番だった」 平成日本紀行(218)珠洲 「伝説とロマンの里」 . 資料:須須神社の日本一のキリコ 長手の岬からは所謂、能登半島の内側に入り込む内浦湾(富山湾)である。 間もなく「蛸島」という小さな町に入っ…

平成日本紀行(218)珠洲 「須須神社」

平成日本紀行(218)珠洲 「須須神社」 . 海に向かって立つ須須(スズ)神社の大鳥居と燈篭 資料:「蝉折の笛」と弁慶の守刀 狼煙(のろし)と須須神社の関わり・・、内陸伝いの山道から、一転海岸に出たところ寺屋地区に「須須神社」があった。 鄙びた部落の様…

平成日本紀行(218)珠洲 「禄剛崎燈台」

「旅の終わり、そして本当の旅の終わりは・・?」 平成日本紀行(218)珠洲 「禄剛崎燈台」 . 能登の最北端表示 禄剛崎燈台 能登禄剛埼の中心に、さほど背は高くないがドーンと鎮座しているのが白亜の灯台「禄剛崎灯台」である。 どっかの灯台の項で記したが、…

平成日本紀行(218)珠洲 「狼煙の禄剛崎」

「可愛い子には旅をさせよ」(日本の諺) 平成日本紀行(218)珠洲 「狼煙の禄剛崎」 . 日本列島中心表示碑 禄剛崎方位表示 この先、曽々木トンネルの道路サイドには「垂水の滝」というのがあり、落差35メートルの滝水は荒磯へ直に流れ落ち、押し寄せる潮風に…

平成日本紀行(217) 曽々木 「時国家(ときくにけ)」

「旅することは、生きること」 (アンデルセン;おとぎ話、童話作家として有名なアンデルセンは、実は無類の旅好きであった。生涯で何度も旅に出て、数多くの旅行記を書き残した。) 平成日本紀行(217) 曽々木 「時国家(ときくにけ)」 . 曽々木の窓岩 建坪…

平成日本紀行(216) 名舟 「棚田と御陣乗」

.「旅を思い出すことは、人生を二度楽しむ事である」 (フェリックス・メンデルスゾーン;作曲家) 平成日本紀行(216) 名舟 「棚田と御陣乗」 . その名も「白米の千枚田」 奥津姫神社の海上鳥居 国道249を更に半島先端へ向かって行くことにする。 海岸とはい…

平成日本紀行(215) 輪島 「輪島・朝市」

「若いとき、旅をしないと、年とってからの物語がない」 平成日本紀行(215) 輪島 「輪島・朝市」 . 輪島の朝市風景 輪島の町並みで、河合町という商店通りは「輪島・朝市」で有名なところである。 河合町一丁目の一角、海を背にして家屋の間に簡素な「市姫社…

平成日本紀行(215) 輪島 「輪島塗」

.「長旅はつらいが、楽しみのがビール待っている」 平成日本紀行(215) 輪島 「輪島塗」 . 朱色の漆塗りに「輪島漆器」 道の駅・輪島、「ふらっと訪夢」の和風造りは、地場産の集成材(多数の板材・角材を接着剤で接合して作った木材)を利用し、内部の柱には…

平成日本紀行(215) 輪島 「能登・御陣乗」

.「長生きするものは多くを知る。 旅をしたものはそれ以上を知る」 <アラブの諺> 平成日本紀行(215) 輪島 「能登・御陣乗」 . 能登の奇祭・御陣乗太鼓 南北朝時代に足利尊氏に従い、室町幕府創立時の功績によって能登、越中を領する守護大名に列せられるの…

平成日本紀行(215) 輪島 「越の国」

.「旅は真の知識の大きな泉である」 (ベンジャミン・ディスレーリ;イギリスのヴィクトリア朝期の政治家、首相 ) 平成日本紀行(215) 輪島 「越の国」 . 古代のある時期まで、富山から東は縄文遺跡、福井から西は弥生遺跡が多いと言われる。 そんな中で石川…

平成日本紀行(215) 輪島 「ぷらっと訪夢」

.「寝てばかりいる賢人より、放浪する愚人」 平成日本紀行(215) 輪島 「ぷらっと訪夢」 . 旧輪島駅の「ぷらっと訪夢」 旧輪島駅ホームと「シベリア」行きの次駅表札 能登道路の終点である穴水の此木から、一般道を「輪島」に向けて走ることにする。 途中、別…

平成日本紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」

.「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」 <松尾芭蕉(奥の細道)> 平成日本紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」 . 豪壮な総持寺祖院の山門 総持寺祖院 山門と僧堂 この辺りの地名で、「門前町」というのは一寸な奇異な感じもするが・・?…

平成日本紀行(213) 能登 「能登金剛」

.「旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにする」 <イギリスの諺> 平成日本紀行(213) 能登 「能登金剛」 . 能登金剛のヤセの断崖(東尋坊より高い・・?) 志賀町増穂浦の世界一長いベンチ(ギネス登録) 気多大社から海岸道の国道249を…

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社の由緒」

「旅から戻ってくると、故郷の煙さえも甘く気持ちのよいものである。」 (グリボエードフ;帝政ロシアの外交官・作家・作曲家) 平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社の由緒」 . 気多大社神宮寺の正覚寺 気多大社が文献に初めて見えるのは「万葉集」である。 天…

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社」

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社」 . 気多大社の大鳥居と本殿 千里浜を左に見ながら、柳田のインターで高速より出る。 ほぼ同時に「気多大社」の大鳥居が目に入った。 4本の支柱に支えられ、風雪に耐えているかの如く、やや色褪せて木製の大鳥居が天を刺し…

平成日本紀行(212) 能登・羽咋 「千里浜」

「さすらいと変化を愛するものは生ある者である。」by(ワグナー) 平成日本紀行(212) 能登・羽咋 「千里浜」 . 羽咋市の「千里浜なぎさドライブウェイ」 金沢市を後にえしt能登を目指す。能登入り口にあたる海岸線の「能登有料道路」を目指す。 北陸道を横…

平成日本紀行(211) 金沢 「金沢の茶屋街」

.「この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない」 <吉川 英治> 平成日本紀行(211) 金沢 「金沢の茶屋街」 、 東茶屋街の豪奢な一角 兼六園、金沢城址の北方、浅野川の辺に「ひがし茶屋街」があった。 石畳の路地に、古い佇ま…

平成日本紀行(211) 金沢 「金沢城」

平成日本紀行(211) 金沢 「金沢城」 . 金沢城と兼六園を結ぶ石川橋と金沢城公園 兼六園に隣接して「金沢城公園」がある。主要道を跨いだ貫禄のある立派な橋・石川橋が両所を結んでいる。 その向こうには石川門があり、左右に二つの楼閣が見えている。 この貫…

平成日本紀行(211) 金沢 「兼六園」

「世界は一冊の本だ。旅をしないものはその本を一頁しか読めないだろう。」 アウグスティヌス(古代キリスト教世界で最大の教父、神学者と言われる) 平成日本紀行(211) 金沢 「兼六園」 . 兼六園(入場口付近)と徽軫灯篭と黄門石橋 兼六園の灯篭と石橋 見…

平成日本紀行(210) 小松 「安宅の関」

「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」 <ゲーテ> 平成日本紀行(210) 小松 「安宅の関」 . 写真:安宅関の銅像 弁慶(中央)・富樫(右)・義経(左)の各像、石碑に刻まれた「智・仁・勇」の文字で、智は弁慶の知恵、仁は富樫の情…