旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

四国地方・高知県; 土佐南国 「土佐日記」

 


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 四国地方高知県; 土佐南国 「土佐日記」  、






『 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。 それの年の、十二月(師走)の、二十日余り一日の日の、戌の時に門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。 ある人、 県の四年五年果てて、例のことどもみなし終へて、解由など取りて、住む館 より出でて、船に乗るべき所へわたる・・』

現語訳
( 男も書くという日記というものを女も書いてみようと思って書くのである。承平4年の、12月の、21日の午後8時頃に出発する。国司の館からの出立の様子を少しばかり紙に書き付ける。 ある人が、国司としての任期の4・5年が終わって、定められた国司交代の際の引き継ぎ事項、事務をみなすませて、任務完了の解由状など受け取って、住んでいた国司の官舎から出て、船に乗るはずの所へ移る・・)



旅日記は比江・国司の館を出発してから、京の自邸に着くまでの55日間にわたって記されている。 

土佐日記」は平仮名で書かれた最初の日記風文学で、日本特有の「文字文学、ひらがな文学」が大きく発展するきっかけになったといわれている。

『 都へと 思ふもものの 悲しきは 
帰らぬ人の あればなりけり 
』  貫之



50数日間という長い旅を経て貫之が、やっと京に帰ったときには、既に元の自分の家は荒れ果ていた。 
この家で生まれた我が子を、土佐の僻地まで連れて参ったが、土佐で亡くしてしまった。愛児への哀惜の思い、世の無常を感じ歌に詠んだ。 

紀貫之国司の務めを終えて船出した港は、南国市の大湊であり、その公園に記念碑がある。毎年、「貫之出港記念祭」が開催されているという。



現在、国府の在った「比江」は見渡す限り広々とした田園地帯となっていて、国分寺だったとされる森だけがこんもりとして、その面影を残している。 

紀貫之は、醍醐天皇勅命で「古今和歌集」撰進の中心となり、仮名序を執筆したことでも知られる平安前期の歌人、文学者で、漢文学の素養が深く、三十六歌仙の一人として古今調を作りだした。 

他に「新撰和歌集」、歌集「貫之集」なども残している。




すぐ近郊の「岡豊」は、長曽我部元親が岡豊城を築き、後に高知の浦戸に城を移すまで、実に、この地域は千年近くもの間「土佐の都」であった。 

又、この地「後免」は江戸期、ここに入植し、開墾する者には土地を与え、租税や諸役を免除していた、この町は諸役御免の町「御免町」と呼ばれ、のちに「後免町」となった。 

今は「南国市」の中心市街地を形成している。


南国市は「みなみのくに」という意味ではあるが、「国」を「ごく」とは呼ばず、「こく」と呼ぶことになり、「なんこくし」と呼称するそうである。


次回は、高知、「五台山と牧野富太郎


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