旅の記録と記憶、

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四国の旅・香川県: 讃岐豊浜 「名物・讃岐うどん」

 四国の旅・香川県: 讃岐豊浜 「名物・讃岐うどん」   、




明けまして オメデトウございます。
今年も当ブログ、よろしくお願い致します。

此の後、四国の香川県より中国地方、そして九州へ参ります。





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「道の駅・とよはま」の「浜っ子茶屋」




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全国区になった「讃岐うどん」には、仕掛人がいた・・、

伊予の「川之江」を過ぎると、国道11号は間もなく讃岐の香川県である。 
土佐とか、伊予とか、讃岐とか、四国四県は何れも古来から藩政時代までの呼称が良く似合う。 
今でも、各地域や施設には、旧名称が好んで付されているのである。


県境の「道の駅・とよはま」で一息いれる。 
昼時でもあり、讃岐に到ったからには早速、讃岐名物の讃岐うどんを食する。 
かなり広めの「浜っ子茶屋」という和風レストランがあったが、先ずメニュウを見てビックリ、300円からと「讃岐うどん」が安いのである。
先ずは、440円の山かけウドンを食する。
ズルズルとほうばると柔らかさの中に芯があり歯ごたえがあり、その汁(つゆ)も関西風の薄色、薄味で何とも美味なのである。
値段のことを言うのも何だけど、これだけの品質、旨さだと首都圏では倍額はするだろう・・?。

ところで、遍路さんが弘法大師に親しむ香川県では「うどん」は、大師さまが唐から伝えたと語られているともいわれている。
これは伝承に過ぎないが、うどんは、遍路が道々、簡単な食事を摂るのに適している食物であることは確かである。

江戸時代には金刀比羅宮への参拝客を相手にした旅籠が増え、その一階がうどん屋となる例が多かったという。
店頭に茹で釜が置かれ、鉢にうどんを盛り、ショウガやネギとだし(麺つゆ)を入れた器に、つけて食べる形式が一般的となった。(今で言う“つけうどん”で、地元讃岐では「湯だめ」ともいうらしい)

又、参拝客が船で到着する丸亀や多度津にもうどん屋が作られ、名所図会などにもその記録が残っている。
だが、往時の一般庶民や農民にとっては引き続きうどんは贅沢品とされ、田植えや法事の祭り事に振舞われる特別な存在だったともいう。 
近代の明治になって一般庶民も食するようになるが、その頃は、所謂、「夜なきうどん」という行商が高松市内に増え、天秤棒の両端に縦長の箱を下げ、頂部にランプを灯して鈴を鳴らしながら売り歩いていたともいう。
以降、香川県では年中行事や冠婚葬祭でもうどん料理が食べられるようになり、「うどんが打てぬようでは嫁にも行けない」という言葉まであったという。 


次回、更に「讃岐うどん」のこと

  
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