旅の記録と記憶、

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四国の旅・香川県: 讃岐・観音寺 「観音寺」(Ⅱ)

 四国の旅・香川県: 讃岐・観音寺 「観音寺」(Ⅱ)   、 




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この琴弾山は、義経屋島合戦で勝利した要因の地の一つとされている。

義経伊勢三郎義盛に命じ、伊予の国から田口佐衛門教能(伊予大洲城主)の一千騎が平家援軍に向かう途中、説得により食い止め、源氏側に味方した所だといわれる。 
屋島の合戦で最悪の場合、平家に挟み討ちされ、形成は逆転していたかもしれないとも言われるところである。

八幡社は琴を弾く神様、つまりは技芸の神様を祭ってあるといい、技芸の神の他に海の安全、戰の神、豊穣の神として奉っている。
神社では技芸の神にあやかって、近年、全国奉納絵馬コンクールなども行っているとか。

第69番霊場・観音寺は寺伝によれば、大師は神功皇后を尊崇し観世音の生まれ代わりであるとして、聖観世音菩薩の尊像を刻まれ、山の中腹に七宝山観音寺を創建して尊像を安置した事から始まるという。併せて七つの宝を埋めたことにより七宝山と号し、第69番の霊場に定 められた。  


本坊の庭園は巍々園(ぎぎえん)」と呼ばれる名園で、様々な形をした巨岩を背景に造られた枯山水の石組みは素晴らしく雄大な眺めてあるという。  
朝廷では桓武天皇以来、歴代の勅願所と定められて信仰も厚く、各武将からも厚い信仰を受け、寺運は永く栄えて現在に至っている。




第68番・神恵院は、行基が722年に訪れた後、弘法大師空海)が阿弥陀如来を描き本尊として安置し、琴弾山・神恵院(じんねいん)として第68番札所に定めた。
神恵院は明治初期までは、神宮寺として琴弾八幡宮に付属して同一境内にあった。

ところが明治政府による神仏分離令により、琴弾八幡は神社と神恵院とに分離されることになり、神恵院は麓にある観音寺境内に移され、阿弥陀如来像も移転に伴い観音寺境内の西金堂に移され現在に至っているという。

つまり、其々が独立しながら神恵院は観音寺と同居した形となり、一つの山に、二つの霊場があるという不思議な現象が生まれた。 

神恵院境内の隅に納経所があるが、観音寺の納経所も兼ねているので、お遍路さんにとっては琴弾山界隈の風光明媚な地と相まって、二札所の納経が一緒にできるという有難い札所でもある。


次は、琴平の「金刀比羅宮

  
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