旅の記録と記憶、

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新・日本紀行(119)長崎 「出島」(Ⅱ)


 新・日本紀行(119)長崎 「出島」(Ⅱ)  





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9f/Edo-era_Dejima_within_modern_Nagasaki.jpg/1024px-Edo-era_Dejima_within_modern_Nagasaki.jpg
現在の出島と江戸時代の出島




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b3-b3/houzan_ky/folder/1093784/71/17169771/img_0?1132423012
出島のオランダ商館の実体模型





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出島はオランダ商館と幕府の共同の貿易拠点であり、貿易に従事するオランダ商館員の居住空間でもあった。
寛永13年(1636)、幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、長崎の有力町人に命じて人工の島を築き、そこにポルトガル人を住まわせた、この島が「出島」である。

幕府の出島築造の目的は、キリシタンの取り締まりを行うと同時に、貿易が掌握できるという二つの利点もあった。
一方、出島の完成の翌年に、キリシタンによる「島原の乱」(後に記載・・、)が勃発する。
その為、キリシタンに苦慮した幕府は鎖国を強固に進め、そして、商売と宗教が一致して政策を進めようとするポルトガルとは縁を切り、商教分離した策をとるオランダに乗り換えたのである。
この間、出島は一旦、無人の島になったが、その後、平戸のオランダ商館が出島に移転してきたのであった。

出島は鎖国時代にあって唯一、日本が様々な海外文化や技術を取り入れるカルチャーセンターとしての機能を持っていた。
それはオランダにとっても同様であり、ここを窓口に日本の文物・情報を集め、広く西欧に伝えた。
出島はまさに日本と西欧の国際交流の場として大きな役割を担っていたのである。

因みに、オランダ商館長は大名の参勤交代と同様、江戸の将軍に出向いて正式に挨拶を交わす習わしがあった、貿易が許されていることのお礼と珍品の献上をするためであった。
道中は出島を出発し、小倉から船で瀬戸内海を渡り、大阪を経て京都、江戸へ向かったという。
オランダ人や通訳、長崎奉行所の役人など数百人を超える行列であった。

芭蕉の句に・・、

『 かぴたんも  つくばいにけり  江戸の春 』 とある。


だが、明治の半ば、長崎の出島は忽然とその姿を消してしまった。
長崎港の港湾工事によって出島はその原型を無くしてしまったのである。

出島は元々、長崎湾に突き出た扇形の出っ張った人工の島であった。
その扇の形は貿易の発展を願う末広がりの意味をもち、その坪数は3,924坪で、これも三千世界二十四節季九星人(気学に基づく:人間一生の運気の学問)として、人の世の運勢、世の吉凶を占ったものという。
出入り口には検問所も設けられオランダ人との交渉や監視を行い、又、原則、日本人も公用以外の出入りが禁止され、オランダ人も例外(医師・学者としての信頼が厚かったシーボルトなど)を除いて狭い出島に押し込められた。 
それが、近代になって出島周辺は完全に埋め立てられ、その姿も埋没してしまった。

今では、かつての出島の範囲を示すため、道路上に出島の縁を示す鋲が打たれているという。
そして今、その歴史的価値が見直され、一世紀の時を超えて出島の姿が長崎市によって復元され出現しつつあり、見学も可能になっている。

現在、出島資料館(本館、分館)、出島シアターに一番蔵(輸入品倉庫)、二番蔵(貿易館)、一番船船頭部屋(オランダ商船船長や商館員の部屋)、へトル部屋(商館長次席の部屋)、料理部屋などが完成したという。
そして2010年までに中央、東部分の計15棟を復元した後、周囲に堀を巡らして扇形の輪郭を復元する予定だという。


次回は、長崎名物「チャンポン

  
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