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旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

新・日本紀行(124)島原 「島原大変」


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





新・日本紀行(124)島原 「島原大変」  






https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3d/Fugendake_02_Pyroplastic_flow_area.JPG
普賢岳火砕流




島原大変を引き起こした眉山(左後方は普賢岳






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平成の噴火による火砕流、土石流という言葉を一躍有名にしたのが、今回の普賢岳噴火災害であったが、しかし島原はこれに上回る大災害を過去に被っていた。 

今から約200年前の寛政年間の「島原大変」がこれで、我が国、火山災害史上最大の稀にみる悲劇であったという。
この時は先ず体に感じる地震が続き、更に普賢岳からの噴煙が上がり、溶岩流や火山ガスの噴出も見られた。
激しい地震の連続に、城下の人たちは不安な日々であったが、それも次第に収まりかけていたように観えた。
だが、寛政4年旧暦4月1日(1,792年5月21日)、大音響とともに襲った大地震によって城下町の背後にそびえる「眉山」(まゆやま:818m)が突如として大崩壊、三億立方メートル(東京ドーム120杯分)を超える巨大な土砂が島原城下の過半部の人家や田畑を埋め尽くすとともに、その土砂は有明海へ向かって崩れ落た。

この衝撃によって巨大な津波が発生、対岸の肥後の熊本城下、天草(熊本県)へ襲いかかったのである。
その波高は凡そ25mとも推定され、更に、津波の反復、返し波がは3回にも及び島原半島の沿岸18か町村へ来襲し広域災害の様相を呈した。
津波による被害を含む死者約15000人は、未だに記録に残る最大の火山災害だといわれる。
この時の島原城下の住民は7000余人で、その内生存者はわずかに1000人だったと言う。

この出来事を「島原大変、肥後迷惑」と呼ばれ、細川氏の支配する熊本藩の公的な記録として大災害の全容が、詳しく残っているという。

悲運の領主・松平忠恕・・、
さて、島原の地に戻って以来、苦労の連続であった忠恕は又しても悲劇に見舞われた。

大惨事の翌日から守山村に避難していたが、10日以上過ぎて島原城内外を巡視した。
城下の惨憺たる状況に忠恕は涙を流し、その衝撃からか翌日から病に侵され間もなく逝去した。
被害の甚大さに心を痛め自刃したとも言われている。 

悲運としか言いようのない享年51歳の生涯で、島原の地に戻って17年目のことであった。 その跡は忠恕の子・忠馮(ただのり)が継ぎ、当代26年間全てを「大変」後の復興に投じたという。



島原には江戸期以降、三つの大事件が起こったことになる。
一つは、1637年(寛永14年)に発生した「島原の乱」という事件。
二つ目は1792年(寛政4年)、雲仙岳が大噴火し、眉山の南側半分が裂けて有明海に崩れ落ち、島原城下の三分の二が埋没、大津波が起こり対岸の肥後地方に押し寄せた「島原大変 肥後迷惑」と呼ばれた地変。 
三つ目は1990年(平成2年)、普賢岳の噴火よる災害で40数名の死者を出し「火砕流」の恐ろしさが世界に認識された地変である。



熊本行きのカーフェリーは定刻、島原埠頭を離れた。
波を蹴ってゆく船が次第に岸壁から離れるに従って、正面に見えている「眉山」の男性的な勇姿が次第に遠くなる。
雲仙の山並みや普賢岳は、この眉山に隠れて一時、姿を消していた。

船が離れるに従って、右手に美しい大小の島々が見渡せた、九十九島(つくもじま)という。 
島原外港に点在する九十九島の奇観は、「島原大変」の時、海に流れ込んだ土砂の跡である。


島原地方の子守唄』 長崎民謡
おどみゃ島原の おどみゃ島原の
ナシの木育ちよ
何のナシやら 何のナシやら
色気なしばよ しょうかいな
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
鬼(おん)の池ン久助(きゅうすけ)どんの連れんこらるバイ


次回は肥後・「熊本

  
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