旅の記録と記憶、

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平成日本紀行(140)出水 「薩摩の木曽三川改修工事」


『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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平成日本紀行(140)出水 「薩摩の木曽三川改修工事」





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Kiso_Three_Rivers_and_Kisosansen_Park.jpg




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/20/%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E7%A5%9E%E7%A4%BE01.jpg
平田靱負ら85名の薩摩藩士殉職者を、「祭神」として顕彰するために「治水神社」
(所在地:岐阜県海津市海津町油島(旧海津郡海津町))




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関ヶ原合戦の以来、江戸幕府は薩摩を開府以来の仮想敵国という存在であり、そのため幕府は何度も事情調査のため隠密を薩摩に派遣しているが、その全てが返ってくることがなかったという。 
行ったきり戻ってこない事を「薩摩飛脚」(この題名で本や映画にもなっている)ともいわれ、物の喩えにもなっている。 

元々、薩摩藩は異国であった琉球を管理していたし、江戸年間に亘って中国や琉球など密貿易を行い、海外の開明的な文化を多く取り入れていた。
こんな中、幕府は薩摩を遠くにあって財政も豊かで危険な藩であると感じていた。


徳川幕府の有力藩弱体化政策の下で、大規模な御手伝普請(おてつだいふしん:工事を諸大名に担当させ、その費用の一部を負担させるもので、大名の力を弱めるための幕府の政策)を割り当てられる。 
そんな中、特に1753年(宝暦3年)に命じられた木曽三川改修工事(宝暦治水)の多大な出費により、藩財政は危機に瀕した。 
しかも、工事を指揮した薩摩藩家老・平田靱負(ひらたゆきえ)は、多くの犠牲者と藩財政の疲弊の責任を取って工事完了後に自害している。


先にも記したが、木曽三川改修工事(宝暦治水)とは・・、
美濃と尾張にまたがる広大な濃尾平野を流れる木曾三川(木曽川長良川揖斐川)は、下流部においては網目状に流れていて洪水が絶えなかった。
そのため江戸時代から明治時代にかけ歴史に残る大掛かりな治水工事が行われたのである。 

工事は、「宝暦治水」と「明治の改修・三川分流」と二度にわたって行われ、現在の三川分流が出来上がっている。


1753年(宝暦3年)12月の大洪水の後、徳川幕府は水害に苦しむ人々の声を聞き、薩摩藩に木曾三川下流治水工事を命じた。
この工事は西国大名の筆頭である薩摩藩の勢力を弱める為という一大目的もあり、薩摩藩平田靱負を総奉行としてこの難工事に着手した。 
薩摩側から出した人数は家老以下947名、これに土地の人夫等を加えると2000人にも及び、この費用は約40万両の巨費に達する大工事だったという。

工事は幕府の方針変更(幕府の嫌がらせも有ったという)によって計画がたびたび変更され、また大雨により工事のやり直し等が発生したりで工事は困難をきわめたが、1755年(宝暦5年)3月遂に完成し、同年5月に幕府の検分を終えた。 この治水工事完成時には幕府の役人も、「日本の内は申すに及ばず、唐、朝鮮においても是ほどのことは有るまじく・・、」と賞賛し、諸国からの見学者が後をたたなかったと伝えてられている。

工事完了後、総奉行の平田靱負は、53人の自刃者と33人の病死者を出し、多額の借金を残した責任を一心に負って・・、

『 住みなれし 里も今更 名残にて 
立ちぞわずろう 美濃の大牧
 』

の時世の歌を残し自刃したという。 

これを世に「薩摩の宝暦治水」という。

この時を境に薩摩は内心、幕府に対して「恨み100年」の憎悪をたぎらせ、藩は一種鎖国政策をとるようになり、藩士はみな武術鍛錬に励み、強く戦国気風を持つようになったとされている。 
事実100年後の幕末、西郷、大久保等の逸材を出すことによって、江戸への復讐の一端も兼ねて戦線が始まるのであるが・・・!!。


次回は、出水「武家屋敷

  
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