旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

平成日本紀行(141)川内 「新田神社とニニギノミコト」


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(141)川内 「新田神社とニニギノミコト」  







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新田神社とニニギの御陵








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ところで、「ニニギノミコト」というのは、日本の古代史や神話伝説に興味のある方々は当然存知よりであろうが、我々、浅学の一般庶民にはチョット聞きなれない神ではなかろうか・・?、
アマテラスやオオクニヌシ、山彦や海彦という名は神話でもお馴染みであるが。

しかし、ニニギというのは日本国土へ最初に降りてこられた天下人(・・?神)であり、稲作を拓いた神でもあり、何より歴代天皇の古祖とされているのである。
伊勢神宮に祀られているのがアマテラスで天皇の皇祖とされているが、アマテラスは神話上でも天上の神であり、実質、天下に降りてこられて日本の国を形造ったのはニニギなのである。

尚且つ、天皇の古祖でもあるので、日本人には最も尊崇されて然るべき神なのである。

古事記によると「ニニギノミコト」は皇室の祖先である天照大神・「アマテラスオオミカミ」の孫で、この国を豊かに治められるために地上に遣わされたとされている。 
このニニギノミコトという神さまの本名がこれがまた長く、正式には「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能瓊瓊杵命」(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)という。 

ニギシというのは豊かの意味で、天地の栄える様をあらわし、アマツヒコは日が空高く輝く意味、ヒコは神の子をあらわす名。ニニは丹にしてかつ赤し、は男子のことで、わかりやすく言えば“ 稲穂が豊かに実る国の壮健なる男子 ”というのが命名の由来という。 
皇室の皇統としての男子誕生を祈願する理由がここにある。


ニニギノミコトは、アマテラスオオミカミより高天原の稲を授かり葦原中国に住む人々、つまり日の本の人々の食べ物にするように命じた。
つまり我々の祖先は稲作の起源を天孫降臨の神話によって語り継がれ、ここからも稲が日本人にとっていかに大切で神聖な食物であるかが伺えるのである。 
新田神社の「新田」という名前には、ニニギノミコトが川内の地に川内川から水を引いて新し
く田んぼをつくったという意味がこめられているといわれる。


可愛山陵(えのさんりょう)はニニギの霊が眠る墓所である。 

古事記の「天孫降臨」の項によれば『 ここに天津日子番能迩迩藝命に詔りたまひて、天の石位(いはくら)を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、イツのチワキチワキて、天の浮橋にウキジマリタタシテて、竺紫の日向の高千穗のクジフルタケに天降り坐した 』、
つまり、「御世、天照大神(女性)は瓊瓊杵(ニニギ)尊(孫)に地上世界を治めるように命じるとともに稲穂を与えた。
瓊瓊杵尊は多くの部下を引き連れて高千穂峰に降りた。
そして笠沙に宮を置いた」とある。そして、その後は尊は千個の岩(千台=川内)を使って可愛宮を造り死んだ後、この頂に祀られたのである。


川内地方の言い伝えによれば、ニニギが高天原から高千穂に降臨したの後、千台(千個の城壁)を築いて皇居を造営された事から川内(せんだい)という地名が起こったとも言われている。 
山稜はこの亀山の中央の一番高い所に方形墳の形で造営されている。 
すなわちこの地が「可愛山陵」であり、御陵と壁一重の近くに尊(ミコト)の神霊を祀る新田神社がある。 

更に尊の皇霊は、高千穂の麓の霧島神宮にも祀られている。


一方、天孫降臨に関しては、日向(宮崎県)の人々から反論があるともいわれる。
古事記によると、天孫(ニニギ)は高天ヶ原より「筑紫の日向の高千穂のくしふる峰」に降りてこられたと記され、日本書紀にはニニギノミコトが亡くなられたとき「筑紫の日向の可愛の山陵に葬りまつる」と記されていると言う。 

初代・神武天皇の五代前の先祖というニニギノミコトは、日本が歴史を刻みはじめる前の神話の世界の神であり、御陵墓の存在は「伝説」の域を出ないものの、日向国臼杵郡長井村俵野門(現、北川町南部地域)に古墳があって、これがニニギノミコトお御陵に当るのは明らかであるというのである。 

この地は以前は可愛村といい村の産土神(うぶすのかみ)である「可愛神社」(えのじんじゃ) には昔からニニギを祭っているというが・・?。 
可愛村は今は俵野門と合併して北川町となり存在していない。 


次回、皇祖・「神代三代


  
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