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旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

四国の旅・愛媛県: 伊予松山 「正岡 子規」

 四国の旅・愛媛県: 伊予松山 「正岡 子規」   、



〇〇


正岡 子規の旅姿



余りにも有名な、 

『 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺  』  

松山出身の「正岡子規」の句である。   


道後温泉本館の至近、湯築城址でもある道後公園の緑が映える。

湯築城(ゆずきじょう)は、中世、松山を拓いた河野氏が築城し、当時は松山の中心でもあった。
今では公園になっていて道際に、大きな「子規記念博物館」があった。 
子規は慶応3年、松山市花園町3番地(松山市駅から徒歩3分位、現在は石碑のみで生家は“子規堂”に移る)に生をうけている。
 
俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など、多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼし、明治時代を代表する文学者の一人である。 
中でも舶来したばかりの「野球」に心底熱中したことは先に記したが、尚且つ、旅に遊んだ。 

子規の徒然の旅の途中、奈良路では・・、

『 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺  』 

は誰でも知ってる子規の代表的な句である。


鎌倉路での・・、

『 大佛の うつらうつらと 春日より 』 も良い。


14、5歳の頃から機会あるごとに未知の自然風土や古跡に接して詩情を養い、見聞をひろめたという。 
明治の頃、鉄道がようやく普及しはじめた頃、東北・陸奥の「芭蕉」の足跡を訪ねている。 
芭蕉は悲壮な覚悟を決めて出発したが、明治の子規はいとも気楽だった・・!、
  
『 みちのくへ 涼みに行くや 下駄はいて 』

、と芭蕉顔負けの秋田まで脚をのばしている。 


この時に、芭蕉の『奥の細道』にちなんだ「はて知らずの記」を残している。 
紀行文集の一編に「旅の旅の旅」というのもあり、日本周遊を終えた今、こうしてペン・・?をとっている小生には一端(ひとは)通じるのを感じる。



 次回も 「正岡 子規」(Ⅱ)   、







  
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