旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

平成日本紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」

「着くことよりも、楽しい道中がよい」 平成日本紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」 . 若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社 神宮寺本堂と神宮寺・仁王門付近 海神(綿津見神:ワタツミノカミ)の娘、豊玉姫を祀る若狭姫神社と、豊玉姫の夫、彦火火出見…

平成日本紀行(203) 小浜 「後瀬山」

平成日本紀行(203) 小浜 「後瀬山」 . 後瀬山(左の山)の麓にある空印寺(元、若狭の守護・武田家守護館) 「鯖街道」は、現在の国道27号線の上中町より303号線、367号線となり、所謂、若狭街道と呼ばれる国道を、比叡山系から比叡山山麓、大原を経て京都に…

平成日本紀行(203) 小浜 「鯖街道」

.「旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにする」 <イギリスの諺> 平成日本紀行(203) 小浜 「鯖街道」 . 小浜市内、鯖街道起点の路面表示 舞鶴を後にして、国道27号線、通称、丹後街道を行く。舞鶴から若狭へ抜ける半島を横切るようにし…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚者と戦争難民」

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚者と戦争難民」 , 引揚者、そして戦争難民とは・・?! 、一般に、満州からの集団引揚げは1946年春から一時期の中断を含め、尚連続して行われていたらしいが、しかし中国内戦が激化したことや、その果てに中国大陸を支配した中…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚当時の私的回想」

「旅から戻ってくると、故郷の煙さえも甘く気持ちのよいものである。」 グリボエードフ(帝政ロシアの外交官・作家・作曲家) 平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚当時の私的回想」 . ここで、勝手ながら小生の幼少時分の満州から引揚状況を、「記憶を振り絞って…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「戦後の引揚港」

平成日本紀行(202) 舞鶴 「戦後の引揚港」 . 引揚記念館 『異国の丘』・歌碑 復元された引揚桟橋 小生家族も世話になった、舞鶴・「引揚港と桟橋」・・!! 、舞鶴港は、戦中は旧海軍の軍事的拠点として使用されていたが、終戦直後は大陸に進駐していた軍人…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「舞鶴港」

平成日本紀行(202) 舞鶴 「舞鶴港」 . 舞鶴軍港に停泊中の護衛艦群 舞鶴軍港に停泊中の最新鋭護衛艦・「すずなみ」 宮津の町から岬付け根の粟田トンネルを抜け、粟田湾から由良川沿いを南下する。 八田の交差点を左折して由良川を渡り、小さな峠を越えると間…

平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」(2)

「旅人よ、道はない。 歩くことで道は出来る。 」 (アントニオ・マチャド;スペインの詩人) 平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」(2) . 林春斎の三景碑(天の橋立) 海岸へ出ると間近に砂州と松林が延々と対岸へ延びている。 その景観は海と緑が対象…

平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」

「さすらいと変化を愛するものは、生ある者である。」 (ワグナー) 平成日本紀行(201)宮津 「天の橋立・南」 . 文殊堂山門 回旋駆動中の廻旋橋(正面道路から切り離されている) 伊根の風景を満喫し写真に収めて、来た道の国道178を折り返す。 序に先ほどと…

平成日本紀行(200) 伊根 「伊根の舟屋」

「この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない」<吉川 英治> 平成日本紀行(200) 伊根 「伊根の舟屋」 . 伊根の舟屋(2枚) 丹後半島の先端「伊根」を目指す・・、海よりの国道178から望む宮津湾は長閑で実にいい。 養老地区…

平成日本紀行(199)宮津 「天の橋立・北」

「世界は一冊の本だ。 旅をしないものはその本を一頁しか読まないことになる。」 (アウグスティヌス:古代キリスト教の神学者、哲学者) 平成日本紀行(199)宮津 「天の橋立・北」 . 傘松公園より天の橋立(股覗きの名所;資料) 写真:天橋立の北側風景(堤…

平成日本紀行(199)宮津 「籠神社」

「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」 <ゲーテ> 平成日本紀行(199)宮津 「籠神社」 . 籠神社・神門 拝殿後方の「本殿」 宮津の元伊勢と呼ばれる「籠神社」とは・・? 、与謝野町の町並みを過ごして、天の橋立の北側の付け根に達…

平成日本紀行(198) 与謝野 「与謝野と与謝野氏」

「希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。」(スティーブンソン) 平成日本紀行(198) 与謝野 「与謝野氏」 . 城崎温泉の宿(国民宿舎・玄武洞)がちょうど円山川沿いにあったので、そのまま南下して一旦、豊岡の町に出る。…

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3)

「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン) 平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3) . 資料:城崎温泉概略図 城崎温泉駅 城崎温泉(きのさきおんせん)は、平安時代から知られている温泉で1300年…

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2)

. 平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2) . 風流な大谿川を挟む温泉街界隈・・、 城崎温泉にて・・、志賀直哉が、「城の崎にて」の冒頭に、「山の手線に跳ね飛ばされて怪我をした。 その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた」と記している。 著者…

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」

. 「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン) 平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」 . 温泉街の最も奥にある立寄り湯・「鴻の湯」と温泉寺へ向かう「薬師橋」(下) 「城崎温泉」へ向かう・・、海岸…

平成日本紀行(196) 香住 「香住海岸」 

. 「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン) 平成日本紀行(196) 香住 「香住海岸」 。 香住海岸のインディアン島 香住港(冬のカニ漁も終わり、静かな佇まいである) 餘部をすぎて、香住の海岸も相…

平成日本紀行(195) 餘部 「餘部鉄橋」 (2)

平成日本紀行(195) 餘部 「餘部鉄橋」 (2) . 写真:餘部鉄橋(手前が餘部駅) トレッスル橋といわれる橋下の橋架部 写真2:新鉄橋イメージ(観光協会) 餘部鉄橋の架け替えの議論・・! 、列車転落事故により運行基準を強化した結果、風速20㍍で列車を止め…