平成日本紀行(195) 餘部 「餘部鉄橋」 (2)
トレッスル橋といわれる橋下の橋架部
写真2:新鉄橋イメージ(観光協会)
餘部鉄橋の架け替えの議論・・! 、
列車転落事故により運行基準を強化した結果、風速20㍍で列車を止める措置がとられ、その為、冬の観光シーズンを中心に年間250本もの列車が風のため運休・遅延する事態となっているのが現状という。
その為、定時運行が困難となった事を契機に、現鉄橋の南側にPC橋(コンクリート橋)を新たに設置する計画が浮上した。
以後、余部鉄橋は定時運行、高速化を目指した「架け替え」か、景観維持を優先させる「存続」かで揺らぎ続けているという。
PC橋では風速30mまで運行可能な設計とされており、また保守も容易なことから、JR西日本では出来る限り早い着工を目指しており、既に平成14年には、新橋新設案が余部鉄橋対策協議会総会で決議され、新しいコンクリート橋への架け替え計画が決定をみていたのであった。
2007年春(予定) 新橋架替工事着手、2010年 には新架橋工事完了が予定 しているという。
しかし、地元の一部には景観存続を望む声が今も根強く、観光客や地元住民からは現在の鉄橋が無くなる事を惜しむ声が後を絶たたない。
地元からは、新しいPC橋が観光資源となり得るかどうかについては、疑問の声も多いという。 コンクリート橋脚の工事はいずれ始まるが、完成後にこの「東洋一の名橋」は撤去されるのか、一部は残るのか、未だ不透明だという。
【追伸】、架替工事は2007年5月に着工、2010年度の完成にむけて着々と工事は進められている。(長さ約307m、高さ約42m、)
最近、旅行ブームなのであろうか・・?、
テレビ放送で鉄道を利用した旅行番組などが多く、北は北海道から南は九州まで、全路線を乗り継いで行く旅番組などもNHKで放送された。
又、「汽車旅放浪記」などという本も出版されて人気を呼んでいる。
鉄道といえばやはり郷愁を感じるのも確かである。
私事になるが、小生、学生(列車通学の高校生)の頃は、福島県の田舎である常磐線にはまだ悠々と蒸気機関車が走っていた。
湯本駅から平駅へ向けて定時に発車した蒸気機関の列車は、ゆっくりと動き出した。
小生は慌てふためき、定期券を見せる間も惜しんで発車したあとを後ろから追い掛けていって乗り込んだのも度々であった。
駅員も承知したもんで、「気を付けてノンなよ・・!」と、のんびりしたもんであった。
その後ジーゼル化され、更に数年後には電化されてスピードアップされたが、その発車間際の加速度的速さに、びっくりしたのであった。
汽車好き、鉄道好きは昔からいて、普通、小さな男の子は大抵乗り物好きであった。
高じて大人になっても鉄道好きは変わらない御仁が多いようである。
鉄道事情が大き変わりつつある、或るいわ大きく変わった今日、又、運行列車の変遷が目立つ昨今、全国の鉄道ファン、鉄道マニアは大忙しであろう・・!。
濃厚な鉄道マニアのことを、「鉄ちゃん」などと言われ、又、汽車、列車などの写真好きを「撮ちゃん」とか「撮り鉄」などと称しているようである。
中には、「撮り鉄」の熱が高じて線路間際に寝転んでカメラを向け、特別運行のSL列車を止めてしまった、などという極端な事例もあるという。
ところで、どの線でも列車が美しく撮れる場所は大方決まっているという。
高くて長い、しかも鋼鉄製の骨組みで出来ている餘部鉄橋などは、今、恰好の標的になっていて、カメラマンが引きもきらないという。
餘部鉄橋ポイントは駅からさらに登った高台であるが、そこは「撮り鉄」たちの集団で踏み固められ、今では草も生えないといわれるほどである。
次回は「香住」