旅の記録と記憶、

日本国内、東西南北、処々方々を巡る、

平成日本紀行(131)九重 「九重、久住・・?」


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)




『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/






 平成日本紀行(131)九重 「九重、久住・・?」   、







写真:平治岳のミヤマキリシマとバックは三俣山(1745m)、左奥に硫黄岳、眼下は坊ガツル。(提供者に感謝)







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「九重」か「久住」かの、苦渋の選択で「くじゅう」に成ったと・・!?、

地名」と「呼び名」について、もう一言。
別府周辺には厄介な地名の読み方がけっこう多い。

湯布院と由布院の違いについては後に記すが、別府と湯布院の間に「城島高原」がある。
当然「じょうじまこうげん」と読むものと思っていたが、「きじまこうげん」が本当らしい。 
湯布院(由布院市)の北に「安心院」という地名がある。 「あんしんいん」ではなく「あじむ」と読む。 
九重町にある「飯田高原」は「いいだこうげん」ではなく「はんだこうげん」と読む。 

では、「九重町」はどうであろうか、隣町に「久住町」(くじゅうちょう)があるが、こちらは「くじゅう」でなく、「ここのえ」と読むらしい。 
一般的な呼称では大相撲界で「九重部屋」、千葉、内房に「九重」(ここのえ)という地名、駅名がある。
因みに「九重九湯」(ここのえきゅうゆ)であるが、「九重山」は“ここのえさん”ではなく、“くじゅうさん”であるという。


ところで両町の歴史で「九重町」は、1955年(昭和30年)に発足し比較的新しい町名であるが、「久住町」は元々、久住村が前身で、既に1874年(明治7年)には施行している。 
尚、久住町は2005年4月1日、直入郡直入町、荻町とともに竹田市と新設合併して新「竹田市」となり、自治体としての町名は消滅している。


日本百名山」の九重山は、独立した山名ではなく山群の総称を表し、その主峰は「久住山」である。
ここで面白いのは、同じ発音を持つ九重と久住には永い間「山名」についての争奪戦があったという。

それぞれに九重も久住も自己を主張する古い文献を持っているという。 
元々、この山域は日本の各地の山岳地にもみられる特有の宗教上の修行の山であって、「九重山法華院白水寺」と「久住山猪鹿狼寺(いからじ)」と二つの寺院が相対峙し、山の名前についても山麓の住民の間で争いがあり、当時の知事が間に入ってお寺の山号が山名に成ったと言われている。
その結果、総称を九重山、最高峰を久住山とすることで落ち着いたという。


次回も九重 「九重山の二院」

  
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